世界に冠たる「かわいい」大国ニッポン。
キティちゃん、ポケモン、セーラームーンなどなど、日本製のキャラクター商品が世界中を席巻している。
では、なぜ、日本の「かわいい」は、これほどまでに眩しげな光を放つのか? 「かわいい」を21世紀の美学として位置づけ、その構造を通時的かつ共時的に分析する。
ポケットモンスター サン&ムーン 第3巻
世界に冠たる「かわいい」大国ニッポン。
キティちゃん、ポケモン、セーラームーンなどなど、日本製のキャラクター商品が世界中を席巻している。
では、なぜ、日本の「かわいい」は、これほどまでに眩しげな光を放つのか? 「かわいい」を21世紀の美学として位置づけ、その構造を通時的かつ共時的に分析する。
コメント
「かわいい」論 (ちくま新書)
題名の通り「かわいい」について取り上げられらた本。
ゼミで扱ったものです。
社会現象を読み解くのに、新たな思考で私たちを導く一冊。
「かわいい」論 (ちくま新書)
歴史的に「かわいい」という言葉がどういう位置づけであったか、性別による印象の違い、海外との比較、「美しい」との差などかなり本格的に「かわいい」という言葉を分析している本です。
面白かった話は
・「きもかわ」は自分だけ気付いた魅力だから
・ぬいぐるみは実はグロテスクでは?
・セーラームーンにおけるタキシード仮面の役割
最後の方では、「かわいい」という概念が世界に与える思わぬ影響について述べています。
実例も豊富でとても分かりやすいので、気軽に読めます。
オススメです。
「かわいい」論 (ちくま新書)
学生のレポートレベルに思えたのだが。
私が題材となる「かわいい」文化により近く存在しているからだろうか。
「かわいい」論 (ちくま新書)
取りも直さずそれは著書本人があとがきで述べるとおり、自身が「かわいい」圏外に留まり観察者として外から覗く姿勢に終始しているからだろう。
よくも悪くも新書サイズの読後感。
「かわいい」論 (ちくま新書)
何かで読んだことがあるけど、アメリカが第二次世界大戦のときにディズニーアニメを捕虜に見せてアメリカの力を示していた、という話とちょっと似ているなと思った。
私自身もかわいいものや人が大好きで、「可愛いは正義」という言葉を使うことがある。
ああ、これって怖いな、って少し私の可愛い神話が揺らいだ。
「かわいい」論 (ちくま新書)
話自体は面白いが、学術的かと聞かれるたら、たぶんそうではない。
アンガールズを「かわいい」という友人に勧めてみたが、意外とそういう人は楽しめない本なんだと思う
「かわいい」論 (ちくま新書)
これから、もっともっと研究対象になってもいい分野なんじゃないかな。
入口として面白い本だった。
「かわいい」論 (ちくま新書)
「かわいい」論 (ちくま新書)
ただ、可愛いというのは結局なんなのかはわからぬままで未消化な部分も結構あった。
なんとなくわかるようなわからないような…
「かわいい」論 (ちくま新書)
ということで、「かわいい」ってどういうこと?と思ったのがこの本を読むきっかけ。
日本には「かわいい」文化が根付く素質があったんだよ、ということが書いてあった。
私たちが「かわいい」という言葉を使う時に、身勝手な支配をできそう、というようなことはちっとも思ってないんだけど、この本読んでたらそういうニュアンスもあるのかなって思えてきた。
一つの言葉についてこうやって学術的に考察できるっていうのはすごいことだね。
でも「それって学者の深読みのし過ぎだよね…」って苦笑してしまうこともあるよね。
あー、えーと、犬彦って名前が、まず「かわいい」んじゃない?(笑)
「かわいい」論 (ちくま新書)
そもそも「かわいい」の感覚は『枕草子』うつくしきもの に書かれているように平安時代にまでさかのぼるとのこと。
「かわいい」感覚を文化史の視点から分析された本書は、なかなか面白かったです(o^^o)
「かわいい」論 (ちくま新書)
ひとつの考察として読めて良かった。
しっくりくるところと全く響かないところが極端にあった。
「かわいい」論 (ちくま新書)
ってか、不用意にかわいいっていうのやめる。
ネコを見ても、服を見ても、「いつここ」も。
バカみたいですから。
日本人に特有の「かわいい」という概念に対し、ポケモン、MD、ミニチュア、おばあちゃん、などあらゆるものを分析した。
また、それをいう対象について、中高大の男女から、秋葉原~池袋~夜の新宿の人たちまで分析した。
「かわいい」っていうことに対する目線がいいなと思った。
「かわいい」論 (ちくま新書)
もはや「言わずと知れた」と形容したほうがよいかもしれないくらいに著名な一冊でございます。
書名が全てを表しているように、日本独自の感性である可能性もある「かわいい」に関して網羅的に述べている。
それこそ、連綿と続く日本文化の中の「かわいい」を紡いでみたり、一般的に「かわいい」がどう捉えられるのかを論じてみたり、メディアがどう「かわいい」を利用しているのかを眺めてみたり、世界に広がった「かわいい」を見てみたり。
四方田さん自身も述べているように、雑多な印象を受けないわけではありませんが、「かわいい」がこうして論われたこと自体が大切なことなんだろうなあ。
それから、これも四方田さんが述べていますが、サブカルチャー論についてはちょっと弱い気がする。
東浩紀さんや福嶋亮大さんのような「使いこなしている」感を感じない。
やはり寿司は寿司屋に任せるのがいいのであって、日本料理屋では限界があるのかもしれない運転。
【目次】
第1章 「かわいい」現象
第2章 「かわいい」の来歴
第3章 大学生の「かわいい」
第4章 美とグロテスクの狭間に
第5章 小さく、幼げなもの
第6章 なつかしさ、子供らしさ
第7章 メディアのなかの「かわいい」
第8章 「萌え」の聖地
第9章 「かわいい」、海を渡る
エピローグ 「かわいい」の薄明
あとがき
注
「かわいい」論 (ちくま新書)
かわいいについて考えさせられたが、どうにも分かりにくいところがあったり、まとまりがないように感じられた。
「かわいい」論 (ちくま新書)
歴史的な考察や、学生たちへのアンケート、秋葉原などへのフィールド・ワークなどが含まれています。
本書の中で、「かわいい」という言葉についてフェミニストの上野千鶴子が放った批判が紹介されています。
上野は、「かわいい」とは「女が生存戦略のために、ずっと採用してきた」媚態だといい、「かわいい」にまつわる言説が、女性を旧来の依存的存在に押しとどめておくためのイデオロギー的な役割を果たしていることを批判しています。
一方著者は、現在の「かわいい」現象を、フランスの批評家ロラン・バルトの「神話作用」として理解することを試みていると本書で述べています。
「神話」とは誤認であり、不自然なものに自然の衣装を被せる意味論的体系を意味しており、うした観点に立つとき、上野のようにイデオロギー的な欺瞞を暴露するという戦術は効をなさないとされます。
「かわいい」という「神話」が受け容れられるに際して、その受け手のほうからの積極的な働きかけが必要だと著者はいいます。
この複雑な共犯関係に肉薄することが、本書の目標といってよいでしょう。
さらにエピローグでは、アウシュヴィッツの収容所内の壁に描かれたかわいい猫の絵を見たときのことが記されています。
「かわいい」は歴史を無効にし、その享受者を永遠の多幸症というべき状態にいざなうと著者は考えます。
このことは、「かわいい」という「神話」のヴェールを一枚取り除けば、そこには大量虐殺というおぞましい事態が存在しているということを知っておかなければならないということを、印象的に示しています。
かなり深いレヴェルに考察が及んでいるのですが、具体的な事例紹介とあまりうまく噛みあっておらず、議論が空転しているような印象もあります。
「かわいい」論 (ちくま新書)
「かわいい」の歴史的変遷、諸外国語での「かわいい」をスタートとして、様々な視点から「かわいい」現象を分析した一冊。
ちなみに第9章の「『かわいい』、海を渡る」の箇所は、河合塾の全統模試で出題された箇所。
その他の箇所も大学入試で頻出。
たった一つの言葉を、このように派生させながら深めていく部分に面白さを感じる。
10年以上前に書かれた本なので、現代版の「かわいい論」を読んでみたい。
「かわいい」論 (ちくま新書)
その過程がかわいいんです。
とちゅうであきたー
そんないろいろ考えてかわいいを使ってはいないよ
「かわいい」論 (ちくま新書)
「かわいい」とは何だろう。
世界の「かわいい」と「かわいい」を取り巻く日本の状況や経済、女性誌やオタクカルチャーから読み解く。
「かわいい」ものが好きな女性のひとりとして、とてもおもしろく読みました。
まさかイタリアでセーラームーンが放送されていたとは。
「かわいい」論 (ちくま新書)
」があちこちから聞こえてきて、日本を象徴する単語だと興味を持っていた。
かわいいにはいろいろな側面がある。
それを余すところなく多方面から考察している本書は大変興味深かった。
かわいいの始まりの枕草子。
かわいいを多用する女子大生。
キモかわいいとは何か。
小さいものはかわいい。
ファッションのかわいい。
萌のかわいい。
海外から見るkawaii。
などなど。
「かわいい」論 (ちくま新書)
世界に冠たる「かわいい」大国ニッポン。
キティちゃん、ポケモン、セーラームーンなどなど、日本製のキャラクター商品が世界中を席巻している。
その市場規模は二兆円ともいわれ、消費社会の文化商品として大きな意味を担うようになった。
では、なぜ、日本の「かわいい」は、これほどまでに眩しげな光を放つのか?
本書は、「かわいい」を21世紀の美学として位置づけ、その構造を通時的かつ共時的に分析する、はじめての試みである。
[ 目次 ]
第1章 「かわいい」現象
第2章 「かわいい」の来歴
第3章 大学生の「かわいい」
第4章 美とグロテスクの狭間に
第5章 小さく、幼げなもの
第6章 なつかしさ、子供らしさ
第7章 メディアのなかの「かわいい」
第8章 「萌え」の聖地
第9章 「かわいい」、海を渡る
エピローグ 「かわいい」の薄明
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
「かわいい」論 (ちくま新書)
アジア圏は基本的に幼さに根ざしたものが好きです。
おたくです。
「かわいい」論 (ちくま新書)
いつもながら古今東西の文学・映画などの膨大な知識でもってそれでいて難くならずにめちゃくちゃおもしろいのは彼ならではのものです。
アウシュビッツの壁に描かれたかわいい子猫の絵。
ユダヤ人を虐殺したナチスたちはゲーテを愛しモーツアルトを演奏した芸術のわかる文化人だったということ、という件など他の誰が指摘できるでしょう。
昨年2月15日に読了したのですが、ヘンリー・ダーガー(1892-1973)のことが気になって、その部分数頁を読んでいて、ついついほとんど再読。
ダーガーという人は、知的障害者として、一生をあちこちの病院の雑役夫として過ごして、友人をもたず満足に小学校もいかず、独学で物語を書き絵を描いた人で、彼の死後、部屋の中にはオズの魔法使いやハイジを耽読して描かれた南北戦争の物語『非現実の王国、あるいはいわゆる非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語、あるいはグランデリニアン大戦争、あるいは子供奴隷の叛乱によるグラムディコ対アビエニアン戦争』という長い題の巻物絵画物語が何十巻も残されていたそうです。
充分な知識も体験もないためか、彼は男女の区別さえ知らなくて、描かれた裸身の少女たちは、両足の間にかわいいペニスを持っているとか。
これらがセーラームーンに酷似しているらしい。
思わず長くなっちゃいました、ともかくこれが気になって。
「かわいい」論 (ちくま新書)
受験の時に欲しかったよ。
そしたらもっとやる気持って読んだかも。
「かわいい」論 (ちくま新書)
この本では萌えの上位概念ともいえる、”かわいい”という概念について仔細に検討している。
肝心のかわいい論については、一部難解な部分もあるが概ね読みやすくまとまっているが、必見なのは第8章『「萌え」の聖地』。
短い章ながら、萌えとはなんなのかを手っ取り早く一般人に解説するには最適だと思う。
すでに萌えを理解している人にとっても、男性中心のオタク街秋葉原と、女性中心のオタク街池袋の比較にとどまらず、ゲイの街歌舞伎町2丁目との比較を試みているのは斬新。
「かわいい」論 (ちくま新書)
そんなかわいいに注目したのが今回の本だ。
かわいいだけで1冊の新書にするとは、寝ても覚めても頭の中からかわいいが離れなかったに違いない。
メディアの中の「かわいい」では、メディアに注目して「かわいい」について述べている。
メディアが説くかわいいについて著者は以下のように述べている。
「幸福感であり、消費主義であり、生理的年齢に対する精神の勝利である。
また手の届くところに置かれた祝祭であり、選ばれてある私を巡る秘密めいた快楽である」。
かわいいも1つの消費を喚起するために装置なのかとふと思った。
かわいいがこれほどもてはやされるのはどうしてなのかな。
永遠に大人になりたくない深層心理を表しているのか、癒しを求めているのかよく分からない。
意外に思ったのがハローキティに関するとらえ方だ。
著者は、アメリカのある女性パフォーマーが、ハローキティ―に口がないことを「アジアの男性優越主義で、女性に対して黙ることを強要しているという主旨の告発をしたという研究者の報告(ケン・べルソン、ブライアン・ブレムナー著、酒井泰介訳 「巨額を稼ぎ出すハローキティ―の生態」東洋経済新報社、2004)を引用している。
人の見方は多様だな。
「かわいい」に対するぴったりした英語やフランス語はないようだ。
そもそも日本で使っている意味でのかわいいという使い方で、向こうの人たちは使っていないから無理もない。
アジアや、中東、中南米、アフリカではカワイイはどう思われているか気になった。
誰か研究している人はいないかなと思った。
「かわいい」論 (ちくま新書)
大学生のアンケートのところの性差から一歩踏み込んで欲しい!
と思ってしまった。
最後の章の
「『かわいい』という言葉のもとに現実から離反された同語反復のまどろみの中で次第に輪郭を失っていく」っていう記述は、完全に今を言い当ててなあって思った。
「かわいい」論 (ちくま新書)
切り口が多くて、時間軸からも空間軸からも考察してます。
でも、あちこちから見すぎて、結局まとまりに欠ける印象がありました。
でも、今後研究しがいがありそうな感じ。
「かわいい」論 (ちくま新書)
「かわいい」について、古典を繙いたり現代の日本文化から考察を試みたり、それこそ「通時的かつ共時的に分析」してはいるんだけど、その範囲が広すぎて収拾がつかなくなっている印象を受けた。
雑多な分析、というか。
もう少し主題(というかアプローチ)を絞ってくれたほうが読みやすかったと思う(逆にそれが今の「かわいい」の複雑な現状を示しているとも言えるけどさ)。
で、結局「かわいい」って何なの?と言われたら僕はP120のこの部分を引用したいと思う。
「われわれの消費社会を形成してるのは、ノスタルジア、スーヴニール、ミニュアチュールという三位一体である。
『かわいさ』とは、こうした三点を連結させ、その地政学に入りきれない美学的雑音を排除するために、社会が戦略的に用いることになる美学である」
「かわいい」をある種のイデオロギーと捉えるあたりは、なんか評論の王道という感じがしました。
でも後半はちょっと退屈だったかも。
(2006年08月03日)
「かわいい」論 (ちくま新書)
おじさんもぼうさんもアイドルも男子も女子もキティちゃんもブロッコリーもなんでもかんでも「かわいい」の違和感。
俯瞰する、というところまでしか行ってないような気もしているけれど、言葉にするという試みは大事だし、細かく分けていく、わかっていることを見直す。
ありのままを受け入れる。
「かわいい」論 (ちくま新書)
確かに分析は浅いし結論も曖昧で、学術的な価値はゼロに近いんだけど、こじつけ具合がオシャレなのでそれなりに楽しむことは出来た。
あと、無駄にタイムリーな話題が散見されるので、早いうちに読まないと面白さが半減してしまうかもしれない。
というか10年後にはもう読めない文章になっちゃう気がする。
200円。